2700年後も参拝しよう
2023年現在、歴代の天皇御陵・皇居周辺を中心に、続いてほしい日本の風景を集めています。
2023.2.25 更新

豊受大神宮(外宮)手水舎・薄青色(R145:G180:B147)












以前訪れた場所
58代・光孝天皇皇后班子女王
光孝天皇の女御。宇多天皇の母、皇太后。洞院后と称された。仲野親王(桓武天皇皇子)の娘で、母は贈正一位当宗氏。寛平御時后宮歌合の主催者。
光孝天皇の親王時代からの妃。是忠親王、是貞親王、定省親王(のちの宇多天皇)、源元長、忠子内親王、簡子内親王、綏子内親王、為子内親王をもうける。元慶8年(884年)の夫光孝天皇の即位に伴い、同年4月1日女御となる。藤原基経の異母妹の尚侍藤原淑子と親密な仲で、所生の定省親王を淑子の猶子としており、この関係が夫光孝天皇の即位の一因ともされている。仁和3年(887年)、定省親王が宇多天皇として即位すると、同年11月17日皇太夫人となり、さらに寛平9年(897年)7月26日には皇太后となった。昌泰3年(900年)4月1日、68歳で崩御。

京都府京都市右京区宇多野福王子町にある神社。
光孝天皇の女御で宇多天皇の母である班子皇后を祀る。宇多天皇が仁和寺を開いたことから、仁和寺の鎮守神とされる。
由来によれば、前身は延喜式に名前が見える深川神社だったが、応仁の乱で焼失(1468年)した。その後寛永21年(1644年)に徳川家光と覚深法親王が社殿を造営し、班子女王の陵墓が付近にあったことから皇后をまつり、福王子神社となったとされる。
神社名の由来は、班子女王が多くの皇子皇女を生んだ事に由来するともいわれる。
仁和寺の横道を宇多天皇陵に向けて歩く途中にある御室陵墓参考地の被葬者は光孝天皇とされている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より